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分かり合う必要は無い!それでも人の話を聞く必要がある理由

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「所詮、他人なのだから分かり合えないし、話し合う必要はない」という意見もありますが、私はそれでは不十分であると思います。

はい、皆さんこんにちは。いんたらくとです。

 

 

 

分かり合えることはない

相手の主張を100%受け入れる必要はないものの、妥協点を探していく努力は必要です。たとえ「お互いに妥協点が見つからない」という結論が出るとしても、妥協点を探す努力が必要なのかというと、現実世界にはオンラインゲームのマッチングシステムのような受動的な仕組みが存在しないからです。

 

私の経験上、コミュニケーションに慣れていない人は、ほんの一部が合わないからという理由で、全面的に合わないという判断をしてしまうことが多いようです。私の友人だった人もそのタイプでした。彼は「分かり合えなければさようなら」とも言っていました。

 

www.iitxs.com

 

はっきり言って、このような考えを持っている人とはいつまで経っても分かり合える気がしません。

 

分かり合えない人はさようなら

友人の言う通り「分かり合えない人はさようなら」で良いのです。ですが、その閾値が低すぎるのは大いに問題です。100%合う人を見つけられる状況が都合良くあるとは思えません。73億(2015年)のうちひとりくらいは100%合う人が居るかもしれませんが、会える可能性は限りなくゼロに近いので、居るかもしれないという仮定は意味がないものだと思います。

 

一方的な通告

例えば「勧誘」は聞く必要はありません。「双方向の対話を目的としていない場合」は容赦なく遮断しても構いません。聞いても構いませんが、ある程度は話が盛られていると考えて聞くと良いでしょう。そして、そのような場合は興味がなければ積極的に「興味が無いこと」を相手に伝えましょうという啓発系の本やサイトは沢山あります。

 

 

もちろんそれはそれで正しいのですが、中途半端にそのような本やサイトを読んだ人ほど厄介なのです。何故ならば、そういう本やサイトを読んだ人に限って、それらの区別がついていない事が往々にしてあるのです。

 

双方向なコミュニケーション

一方的な勧誘とコミュニケーションは別のものであるのにもかかわらず、そのような人はコミュニケーションを取らなければならない場面においても、「興味ないから」の一言で終わらせようとします。

 

例えば、親しい友人同士の関係を想定して下さい。「トランプを一緒にしよう」と言う話があるときに、

 

  • 積極的にトランプをする。
  • 消極的にトランプをする。
  • 興味ないからと伝える。

 

どれを選びますか。

 

 

多数の意見がある事を前提にしなければ理解は出来ないのです。理解することは必ずしも相手に同調することではありません。しかし、「権利を放棄する」のは自由ですが、相手の権利を奪うのは自由ではありません。時に、コミュニケーションを取ろうとしている場面において、何らかの意図を持ってしていることを簡単に切り捨てるのはやめて下さい。(切実)

 

ちなみに、ステルスマーケティングが嫌われているのは、双方向の対話に見せかけた、騙し討ちだからです。騙し討が好きな人はいませんよね?

 

分かり合うわけではなく

確かに人間は100%分かり合えません。でも特定の分野に関しては分かり合えるものだと思います。分かりやすそうな具体例には「眠くなった→寝よう」「おなかが減った→ご飯を食べよう」など生物的な欲求があげられます。

 

「おなかが減ったからご飯を食べたいなあ」という人がいた時に、「自分のおなかは減っていない」と思ったとしても、分かり合えないなと思うことはあるでしょうか。一般的には、自分のおなかは減っていなかったとしても、相手はおなかが減っているんだなと「認識」します。その認識のための作業がコミュニケーションです。

 

分かり合えないから話をしないのは言語道断です。どのレベルで合う・合わないのかを探る努力をしないで「興味ないから」の一言で終わらせてしまうと、限りなく合う人をも合わないと切り捨ててしまう可能性があります。

 

あくまでも、相手の話を聞かなくて良いのではなく、相手の話に迎合する必要は無いということです。

 

生きやすい環境?

話は変わりますが、近年では「ベビーカーだから当然場所を取っても良い」「老人に席を譲るのは当たり前」のような皆が譲り合ってた状況を鑑みない、我慢のない主張をする人が出現しました。

 

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そのような主張の結果は、皆さんもご存知の通りです。

 

今まで中立的だった人が多数だったものが、賛成と反対に分かれ始めました。すなわち、混雑時のベビーカーは邪魔だから止めてと公言する人が出てきましたし、座るべきなのは働き詰めで疲れているサラリーマンとハイキングの老人のどちらだということも、より疲れているのは・・・と従来の方針に反対を表明する人がでてきました。

 

お互いに我慢することで「グレーゾーン」に分類されていたものが、相手に強制することで「白黒」つくように仕向けてしまったのです。本当に生きやすい環境はどちらだったのでしょうか。相手の話を聞かずに、権利ばかりを主張してコミュニケーションを取ろうとしなかった為に起きた当然の結果です。

 

少しずつ我慢している社会

人は社会というコミュニティで共同生活をするにあたって、利害の調整をして我慢をしながら生活をしています。好きで我慢をしているのではなく、自分にとって、最も都合が良くなるように我慢をしているのです。つまり、我慢をしている理由は、他でもない自分のためなのです。我慢をしている人は自分にとって都合が良いように我慢をしているのですから、我慢しない人は相対的により生きにくい環境を自ら作り出していると言えます。

 

働きすぎで顔色が良くない人がいて「会社は辞めた方が良いよ」と言われつつも辞められないのは、その人の持っている選択肢の中で会社に行くことが最善の選択肢だからです。それがその人の選択できた最も都合の良いから我慢しているのです。我慢するのが好きなマゾでもなく、選びたくて選んだのでは無くても。いかに選択肢は多ければ多い方が良いということがお分かりいただけるでしょうか?

 

その選択肢を増やす簡単な方法がコミュニケーションです。コミュニケーションは選択肢を増やすことに繋がります。そのために分かり合えない人の話をも聞く必要があるのです。聞いた結果、やっぱり参考にならないやでも良いのです。参考にならなくても「ひとつの選択肢」そして「ひとつの可能性」を確認出来たのだったら、無駄ではないはずです。

 

まとめ

結局、何のために話を聞く必要があるのかというと、全ては自分が生きやすい環境をつくるためなのです。

 

分かり合う必要や分かり合える人を見つける必要は一切ありませんし、見つけようとしてもなかなか見つかるものではありません。ですが、その人がそのように考えた理由や背景はしっかりと聞いた方が良いのではないでしょうか。

 

私の友人だった人のように、安易な合う合わないで判断せずに。

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