称号よりもアピールポイントを前面に出した方が差別化できる

人間には経験に応じたアピールポイントが蓄積されているはずで、それは称号よりも価値があると思います。

はい、みなさんこんにちは。いんたらくとです。

称号のはなし

ブロガーの場合、文章力があれば多くの人を惹きつける文章が書けるし、それを武器にすることもできます。それを持っている皆さんは誇りに思っていいです。でも、それを持っていないからと言って悲観することはありません。なぜなら、各個人には他人と同じものはない「経験に応じたアピールポイント」が蓄積されているはずだからです。

厳密に言えば、称号は名誉称号と資格称号に分かれます。しかし、今回のテーマでは分けて考える事に意味がないので、同じものとして扱っています。

 

称号では差別化できない

今回は学歴の話ではないので軽めにしますが、学歴(=学位)は称号なので、無いよりはあった方がいいです。中世では「爵位」という称号で安定した生活が約束されていました。そういう経緯を勘案すると称号は無いよりはあった方が良いというのは理解していただけるでしょうか。

 

さて、「国民栄誉賞」という称号を授与された人がいたらすごいと思うでしょう。(思いますよね?)でも、いつまでもそれを前面に出している人はいません。過去の回想で「あのときは・・・」と語ることがあっても、いつまでも「国民栄誉賞」を受賞した◯◯と自己紹介しません。なぜなら、そのような人々は称号というアクセサリーよりも大切なアピールするもの・したいものを持っているからです。

 

世界五大陸最高峰登頂した植村直己氏も「国民栄誉賞」の受賞者でありますが、最後まで冒険家でした。

MEMO
その冒険途中に行方不明になった。

 

問答シュミレーション

1984年に国民栄誉賞を受賞した人は?

名前

あなた

分からないよ!
世界初のマッキンリー冬期単独登頂を達成し、登山中に行方不明になった人は?

あなた

植村直己!

 

文章で見てもわかりにくいと思うので、会話形式にしてみました。この感じが伝わるでしょうか。

 

アクセス数という称号

実際に称号というのはいたるところに存在します。法律で義務付けられている運転免許のようなものは別としても、趣味の「なんとか検定」もブログの「月間◯万PV」も客観性はないかもしれませんが称号です。ブログの「月間◯万PV」という称号に関して言えば、このサイトは主張するほどではありません。あったらいいなとは思います。

 

ところで、風のうわさによるとスパム的な集客で「月間何万PV」という称号を手に入れた人もいるらしいではありませんか。あ、でも、そのような人の記事が琴線に触れることは一般のブログと比較して少なかったので、羨ましいや妬ましいと感じたことはありません。あまり他人のことを言えたものではありませんが「大絶賛されているのに、内容が薄く読んで残念だったな」と感じたことはあります。

 

私がスパム集客をしないのにはいわゆる”矜持”があるからです。偽りの数字になんの価値があるのだろうか。大体、スパム集客以外にアピールしたいことはないのか。もちろん、当たり前のように素晴らしいサイトもあります。そういうサイトに対しては、そこに何かの差があるのだから差を埋める工夫をしなければと思いながら読んでいます。具体的には私が読ませていただいているブログのことです。