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伊豆下田・ペリー胸像とアメリカ寄贈の錨!ペリー提督が了仙寺へと向かった場所「ペリー艦隊来航記念碑」を訪れる

伊豆下田・ペリー胸像とアメリカ寄贈の錨!ペリー提督が了仙寺へと向かった場所「ペリー艦隊来航記念碑」を訪れる

はい、皆さんこんにちは。日常生活が楽しくなる情報をお伝えすることを心がけている、旅する写真家のいんたらくとです。

ペリーロードを通って海へ

アメリカからやってきたペリー提督一行が会談の舞台となった了仙寺へ向かう際に歩いたとされるのがペリーロードです。『伊豆石』という石を使用して作られた建物や『なまこ壁』という漆喰を塗った壁などが残されており、当時の雰囲気を感じることもできます。先に了仙寺を訪れたので、ペリー提督が歩いた順路とは逆方向になりますが、上陸した『ペリー艦隊来航記念碑』を目指して歩いてみました。

ペリー艦隊来航記念碑

下田港にあるのが『ペリー艦隊来航記念碑』です。黒船でやってきたペリーはこの石碑がある場所から上陸し、了仙寺まで歩いていったとされています。正面にはペリー提督の胸像、左側にはペリー来航150周年を記念して灯火された『日米友好の火』、右側にはアメリカ海軍から寄贈された『錨』が設置されています。

ペリーが上陸時に見た景色

まさにこの石碑がある場所こそペリーが立っていた歴史的な場所です。ペリーの乗船していた黒船が来航したことによって江戸幕府は鎖国政策を終了し、世界の国々に対して貿易を始めることになりました。建物は変われど山や海はきっと同じような景色だったに違いありません。ペリーもこの景色を見ていたと考えると歴史の流れを感じます。

火山活動によって作られた特徴的な山が下田港を囲むようにあります。港があるのはちょうど山と山の間で開けた場所となっています。

SHIMODA WAYの標識

この標識は、姉妹都市提携50周年の2008年7月に下田市訪問団がニューポート市を訪問した際に、「SHIMODA WAY」で開催された住民との交流会において、ニューポート市長が自ら取り外し、下田市に寄贈いただいたものです。

道路側にはアメリカ式の道路標識が設置されています。下田市とボストン南部にあるニューポート市は姉妹都市となっており、2008年にニューポートにある『SHIMODA WAY』という地にあった看板を友好の証として市長がプレゼントしてくれたものだそうです。

おわりに

今回は了仙寺からペリーロードを歩いてペリー艦隊来航記念碑を訪れてみました。ペリー提督が下田に来たことをきっかけとして、幕藩体制が終了し、日本は近代へと時代が進みました。下田が歴史に登場するきっかけとなった場所なので、下田観光の際にはぜひ訪れてみてください。

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