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話の”つかみ”を超えて、下ネタで笑いを取るのは面白くもなんともない

面白くもなんともないなら何なのかと言うと不快ということです。

はい、皆さんこんにちは。いんたらくとです。

 

ガン見せは下品

下ネタは人から隠していることをチラ見せするから面白いのであって、四六時中下ネタを見聞かされ続けたら面白くもなんともありません。ただ下品なだけです。話のつかみを超えて、下ネタに頼るのは本当につまらないのでやめてください。下ネタの連発が面白いと思っているのでしょうか。

 

下ネタの”ネタ”になるようなものは、わざわざ人に話すようなことではないもので基本的には隠しているものです。単体で”ネタ”になるような代物ではありません。”隠す必要がある”と人々が判断するものを逆張りするから笑いになるのです。

 

下ネタで笑うのは反射

下ネタは誰でも理解できる簡単な笑いです。そして、誰でも笑わせることができる定形の笑いです。

 

「笑ってください」とカンペが出ているようなイメージです。つまりは、心の底からの笑いではありません。面白いから笑っているのではありません。笑うべきタイミングだから反射的に笑っているのです。その証拠に、面白いネタは何度見ても笑うと思いますが下ネタを繰り返すと笑わなくなります。可能なら身近な人で試してみてください。

 

私がこのようなことを記事にしたのは、Amazon Primeの『ドキュメンタル』というネット番組が配信されているのですが、それを見たからです。最初はそこそこまともなのに、脱落者が何人か出た頃から、次第に下ネタのオンパレードになってしまう番組なのです・・・。毎シーズンともスタートから数話は面白かったのに、あれだけ下ネタを連発されるともはやクスりとも笑う気がなくなります。

 

反射的な動作と言えば、眩しいときに目を背けたり、とても熱かったり・冷たかったりした物を触ったときに手を引っ込める動作などがあります。反射的に動くことには意味がありますが、本人の意思という観点では全く意味はありません。つまり、下ネタの笑いはスピーカーから笑い声の録音を再生したのと変わりません。

 

面白くもなんともない

下ネタは挨拶として使える時があります。言葉が通じなくても下ネタは通じるなんて事があります。

 

文化が違っても、言語が違っても、下ネタが通用するのは先の項で書いた『カンペの力』によるところが大きいのではないかと思います。カンペがあるからこそ、『相手は笑わそうとしている=敵対していない』ということが伝わります。

 

さて、下ネタが挨拶として扱われているとすると、四六時中、下ネタをばら撒いている人は、オウムのように「こんにちは…ピヨッ」「こんにちは…ピヨッ」と繰り返している事になります。これでは、バカのひとつ覚えです。垣根をなくす挨拶としては便利かもしれませんが、挨拶というのは話のつかみであって中身ではありません。

 

もし相手が笑っていたとしたら、決して面白いからではありません。そこは笑う場面。空気を読んでくれただけです。

 

正直、食傷気味だよね

挨拶は大切ですが、時と場所と状況に応じて使い分けなければなりません。これから寝ようとしている人に「おはよう」「おはよう」と語りかけ続けることになっている恐れもあるということです。もし、あなたが『これから寝ようとしている人』だったら、このようにタイミングの悪い挨拶をされ続けたらうんざりしませんか。

 

下ネタ以外にも面白い話はないのでしょうか。下ネタ以外に笑わせてくれるネタはないのでしょうか。百歩譲って、下ネタを話の掴みとして使うのは良いとして、いつまでもいつまでも下ネタで勝負しているのを見ると「他にネタはないんか」と思います。話のつかみを超えて、下ネタに頼るのは本当につまらないのでやめてください。

 

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