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稚内で海産物を中心にお土産が買える「稚内市副港市場」と「稚内市樺太記念館」へ行く

稚内で海産物を中心にお土産が買える「稚内市副港市場」と「稚内市樺太記念館」へ行く

はい、皆さんこんにちは。いんたらくとです。

稚内副港市場

稚内でお土産を見るなら『稚内副港市場』が便利です。稚内副港市場では海産物を中心に様々なお土産品が揃っています。食堂も併設されているため、昼食を食べることもできます。稚内副港市場には『稚内市樺太記念館』と温泉の『港のゆ』も併設されています。

場所は稚内駅と南稚内駅の中間地点にあります。路線バスでも訪れることはできますが、路線バスのルートからするときっと歩いたほうが方が早いかと思われます。今回は近場のお店で食事を終えてきたので食後の散歩としてそのまま歩いて来ました。

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稚内市樺太記念館

稚内市樺太記念館は樺太での生活についてや歴史についての展示がある博物館です。樺太というのは近代までは、日本とロシアと中国に挟まれ帰属も曖昧なまま各国の人と先住民族が混ざって住んでいた島でした。人の住む場所に歴史があります。稚内市樺太記念館ではそうした資料を展示しています。ただ、訪れた時には改装工事だったので、詳細を見ることが出来ませんでした。

樺太は古くは先住民としてアイヌ民族を中心とした北方民族の住む地域として周辺国との交易が行われていました。樺太は北方民族との交易の中で周辺国から移り住む者が出てきて、国際的な帰属が決まるよりも前から様々な国の人々が住む地域となっていたようです。

国際的な法律としては、日露和親条約で日本とロシアの雑居地として定められました。定められたと言っても『雑居地』ではあまり決まったという感じではありませんが、当時の実情に合わせて穏便に曖昧な決定となったようです。その後、日露戦争のポーツマス条約にて北緯50度以南の南樺太を日本領とすることになり、1907年に豊原という地区に『樺太庁』という行政機関が設置されました。1907年以降の南樺太は日本の北方地域として開発が進められたため、『日本としての歴史』も多く残されています。

当時の列車の暖房はだるまストーブが各車両に設置されていました。ちなみに、太平洋戦争の末期にソビエト連邦が侵攻を行った影響で、現在の樺太はロシアが実効支配している帰属未定地域となっています。

どん詰まりの稚内駅

少し歩くとガラス張りで開放的な駅舎が特徴の稚内駅が見えてきました。稚内駅はターミナル駅なので行き止まりになっています。稚内駅には観光案内所もあるので、観光の拠点としては利便性抜群です。街の規模としては決して大きくは無いものの、色々な施設がまとまって設置されているので意外と効率良く巡ることができます。

キリル文字付きの案内標識

稚内市の道路案内標識にはロシア語が併記されています。古くから樺太への玄関口として人々の往来があった稚内ではロシアからの観光客等が多いらしく色々なところでキリル文字を見かけます。いわゆる多言語対応とはまた違う観点でのロシア語表記。北方領土問題がありつつも稚内では米英よりもロシアのほうが文化的に近いというのもまた事実としてあります。

おわりに

稚内市樺太記念館が見られなかったのは残念でしたが、魅力的な展示を行うための改装工事では見られないのも仕方がありません。機会があればまた訪問したいと思います。鉄道ダイヤが乱れに乱れていて特急が運転されるかが不明だったので、どうにも出来ませんでしたが、せっかくなら温泉にでも入ってくれば良かったなと後から思いました。

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